乙部町のあらまし
ようこそ乙部町へ
国道229号線に沿って広がる真っ青な日本海。新緑の乙部岳に注がれるまぶしい太陽。語り継がれる伝説が息づく姫川・・。
乙部町は、海と山と歴史が彩るパレットです。さて、あなたは乙部でどんな思い出を描きますか?
乙部町は、海と山と歴史が彩るパレットです。さて、あなたは乙部でどんな思い出を描きますか?
位置
乙部町は北海道南部を形成する渡島半島の西部、檜山支庁管内のほぼ中央部に位置(北緯41度58分、東経140度08分)しています。南は江差町北は八雲町に接し、西は日本海に面し、東は厚沢部町及び渡島山脈を境に八雲町に隣接しています。
地域は、東西18キロメートル、南北17キロメートル、総面積は162.59平方キロメートルとなっております。
地域は、東西18キロメートル、南北17キロメートル、総面積は162.59平方キロメートルとなっております。
気候
日本海を北上する対馬暖流の影響を受け、比較的温暖です。初霜は、11月上旬、冬期間は北西の強い季節風に見舞われますが 積雪は0.5~1.2メートルと少ないです。
歴史
本町への和人入植は、嘉吉年間(1441年~1443年)に福井地方からとの伝えがあり、江戸期ににしんの豊漁などで越後、佐渡、能登方面から移住者が増え、天明年間(1781年~178 9年)までにしんの千石場所として江差に次ぐまちとして発展しました。
時代の変遷に伴い、明治2年には、山田顕義以下1,300人の明治政府軍(官軍)が乙部に上陸しました。また、明治4年廃藩置県により館県、つづいて弘前県青森県の統治下に入り、明治12年乙部三ツ谷に戸長役場が置かれました。
明治19年北海道庁函館支庁官下になり、乙部村と戸長役場の合併により現在の乙部町の区域となり、明治35年2級町村制の施行により、村名を「乙部村」としました。
昭和40年に町制施行、昭和54年には開町百年平成2年には町政施行25周年、平成7年には30周年を迎え、たゆみない前進を続け、21世紀へ向けた町づくりが進められています。
時代の変遷に伴い、明治2年には、山田顕義以下1,300人の明治政府軍(官軍)が乙部に上陸しました。また、明治4年廃藩置県により館県、つづいて弘前県青森県の統治下に入り、明治12年乙部三ツ谷に戸長役場が置かれました。
明治19年北海道庁函館支庁官下になり、乙部村と戸長役場の合併により現在の乙部町の区域となり、明治35年2級町村制の施行により、村名を「乙部村」としました。
昭和40年に町制施行、昭和54年には開町百年平成2年には町政施行25周年、平成7年には30周年を迎え、たゆみない前進を続け、21世紀へ向けた町づくりが進められています。
問合わせ先・担当窓口
総務課 企画係
- 電話
- 0139-62-2311
- FAX
- 0139-62-2939
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- kikaku@town.otobe.lg.jp